自己紹介

音楽をやっております。 自宅・怪楽庵のライブ出演者募集中です。

ライブ

LIVE
8/4(日)下北沢 mona records
open/12:00 start/12:30
ticket/¥2300(1drink)or¥2500(lunch set)
出演/忘レ敵 coneco けしからん

2011年9月18日日曜日

お ん が く

大里俊晴氏の著書「マイナー音楽のために」を読んでいる。
まだ半分も読み終わってない(極厚ハードカバー本!)ので具体的なコメントを書くのもどうかと思うし、内容が高度なので僕の頭じゃそんな大した事言えそうにない。

なんだけど、やっぱり思う所あり、書いてしまった。
それは本どうこうってよりは、自分と音楽についての事として。

僕はポップスを聴いて育って来た人間なので、クラシック〜現代音楽に通ずる辺りというのは聴いてる絶対量も少ないし、勉強不足の為知識も浅い。

どちらかと言うと自分は理論的に音楽を聴く方ではなく、情緒的に聴く方なので、わりと普段から深く考える事なく音楽を聴いている。

言ってしまえば「気持ちよければなんでもええやん」的な、享楽的な接し方で、そこに特に疑問もなくこれまで来た。

でも大里さん(09年に51歳で亡くなったらしいです、合掌)のこの本にはそんな自分を揺り動かす力が十分にあった。

つまり(知識の浅い自分がコメントするのははばかられると思いつつ)現代音楽家の人々ってのは(本を読む限り)音楽に対する哲学者の様な存在に思える。

例えば、音楽を聴いても自分の様に「気持ちいい」で終わらず、ではなぜ「気持ちいいのか」という所から始まって、音楽とはなんぞや、果ては、自分とは、生命とはetc...という深遠なテーマにまで及んでいる様な気がする。

いわゆるポップスってのは大衆音楽なので、そこまで自覚的でも先鋭的でもある必要はなく、大体に於いて他からの流用であったり再利用であったりする訳で、つまり「気持ちよければそれでええやん」的な、別にそれが悪いとかそういう問題ではなくて、それも(重要な)一つのあり方だと思うし。
(実際僕はポップスが大好きだし)

でも現代音楽家はそこを通り越して、音楽そのもののあり方について、音楽の領域について、音というものについて、常に自覚的であり、本の中でも書かれているけど、歴史を学び、先人達の仕事を学び、その先で今新たに何ができるのか、という問題に常に直面している。
それは、ポップス的な流用、再利用とは違う。

ただ自分の中では、その状態がひどく息苦しくも感じるのも事実で。
それは結局ある事柄に対して偏執的なまでに反問を繰り返し、証明して行くという、膨大で果てしない作業だからかもしれない。

それでも「音楽」を求める者としてはそこを避けては通れない気がして、もっと歴史について、音楽について、勉強しなければならないなぁと思っている今日この頃。

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