2012年4月5日木曜日

ごぶさたしております

えー
久しぶりです。

突然ですが
単独ライブをやる事になりまして。

とき/4月12日(木)開演19:30
ばしょ/西武国分寺線鷹の台にある、すうぷ屋Hygge

チケットはありません(ライブ自体はフリー)
ただお店でメニューを頼んでくださいとの事です。
一人でやるので、たぶんいつもより長く(一時間くらいは)やります。

ちょっと場所的に行きづらいかもしれないんですが汗
よろしくお願いします。

店のURL:http://www.soup-hygge.com/

2011年10月8日土曜日

音と仏教

禅のおしえでは、あるものはそのものたる確固たるものは何もなくて、ただ世界の全てのものとの関係性の中でそのものとして存在している。世界の全てと関係している訳だから一つのものの中に全ての要素が含まれている。ただどの要素が強く出ているかの違いによってものの違いがあるだけ。らしい。

音の中には、高く聴こえる音であっても実は要素的に低いは音が入っていたりする。つまり様々な帯域の音の要素が含まれていて、それが合わさって一つの音を形作っているので、高い音だからいいやと低い帯域の部分を(スタジオ編集なんかでそういう事ができるわけです)切り落としたりするとそれだけで音が変わってしまう。

つまりそれって禅のおしえと同じだなと思う訳です。
わかるもんもわかんないもんも目に見えるもんもそうでないもんも何もかんも全部含まっての今であって存在なのだから、月並みだけど、ムダなものは何もない、というあたりまえの事に行き着いたりして。

世界が全部自分に含まれてるって事は、つまり自分とどう向き合うかによって、世界を知る事ができるって事なんじゃないかと思う。
世の中には溢れんばかりの物や情報があるけど、そういう物に一々振り回される必要はないのだと考えている今日この頃。

2011年9月29日木曜日

て ん た い か ん そ く


この間、帰郷をした。

僕の地元は鳥取なのだが、わずか2日間のみという短い里帰りだった。
当初の予定より短くなってしまった事もあり、かなり慌ただしく過ごしたのだけど、その間の空いた時間に少し街へ出掛けた。

鳥取市街のメインストリート、若狭街道沿いにあるビルの2階にひっそりとボルゾイレコードという店がある。
僕が地元にいた当時からあったのか知らないけど(恐らくあっても知る事はなかったと思われる)高円寺円盤なんかとも繋がりがあったりするとても良い感じのお店で、帰郷したら是非行ってみようと思っていた場所だった。

店に入って少し店員さんと話し、「何かおすすめないっすか?」って聴いたら何枚か試聴しながら教えてくれて、その中の一枚を買った。
Directorsoundというスコットランドのアーティストのアルバムだった。

スコットランド在住の若者が一人で自宅で7年かかって作り上げたというそのアルバムに、日本の鳥取なんて片田舎で出会う事ができるって何だか奇跡的だと思った。

録音物は、時間も、場所も、飛び越えて、誰かの(僕の)元へ直接繋がる事ができる。
僕は、遠くの国に住む、全然知らないその人と対話をしたのだった。

帰りの夜行バスで一人でそのDirectorsoundのアルバムを聴きながら窓の外に見える空を見ていた。

宇宙には信じられないくらいたくさんの星があり、そこにはわけわからない生物や、宇宙人がいたり、想像を超えるいろんなものがあって、自分もその宇宙の中の一欠片で、全部繋がってんだなと思った。

また、どこかに住む、全然知らない人が自分と同じ様に星を見たりしてんだなと思った。

誰かといると、側にいる誰かが大きすぎてそういう事をついつい見逃してしまうんだな。

だから、誰かといる時間ももちろん大切なんだけど、同じ様に一人の時間ってのも自分には大切なのだと思った。

しかし、ほんと田舎は星がきれいに見える。
東京は夜が明るすぎて、あまりよくわからない。
近くの光が強すぎて、遠くのかすかな光が見えないんだな。
でも自分が見ても見なくても星は存在するし、今日も明日も光っている。

みんな誰かと繋がっている。
それはただ、自分が気付いてなかったり、見えてなかったりするだけなのかもしれない。

とか思わなくもなかった。ちゃんちゃん。

2011年9月18日日曜日

お ん が く

大里俊晴氏の著書「マイナー音楽のために」を読んでいる。
まだ半分も読み終わってない(極厚ハードカバー本!)ので具体的なコメントを書くのもどうかと思うし、内容が高度なので僕の頭じゃそんな大した事言えそうにない。

なんだけど、やっぱり思う所あり、書いてしまった。
それは本どうこうってよりは、自分と音楽についての事として。

僕はポップスを聴いて育って来た人間なので、クラシック〜現代音楽に通ずる辺りというのは聴いてる絶対量も少ないし、勉強不足の為知識も浅い。

どちらかと言うと自分は理論的に音楽を聴く方ではなく、情緒的に聴く方なので、わりと普段から深く考える事なく音楽を聴いている。

言ってしまえば「気持ちよければなんでもええやん」的な、享楽的な接し方で、そこに特に疑問もなくこれまで来た。

でも大里さん(09年に51歳で亡くなったらしいです、合掌)のこの本にはそんな自分を揺り動かす力が十分にあった。

つまり(知識の浅い自分がコメントするのははばかられると思いつつ)現代音楽家の人々ってのは(本を読む限り)音楽に対する哲学者の様な存在に思える。

例えば、音楽を聴いても自分の様に「気持ちいい」で終わらず、ではなぜ「気持ちいいのか」という所から始まって、音楽とはなんぞや、果ては、自分とは、生命とはetc...という深遠なテーマにまで及んでいる様な気がする。

いわゆるポップスってのは大衆音楽なので、そこまで自覚的でも先鋭的でもある必要はなく、大体に於いて他からの流用であったり再利用であったりする訳で、つまり「気持ちよければそれでええやん」的な、別にそれが悪いとかそういう問題ではなくて、それも(重要な)一つのあり方だと思うし。
(実際僕はポップスが大好きだし)

でも現代音楽家はそこを通り越して、音楽そのもののあり方について、音楽の領域について、音というものについて、常に自覚的であり、本の中でも書かれているけど、歴史を学び、先人達の仕事を学び、その先で今新たに何ができるのか、という問題に常に直面している。
それは、ポップス的な流用、再利用とは違う。

ただ自分の中では、その状態がひどく息苦しくも感じるのも事実で。
それは結局ある事柄に対して偏執的なまでに反問を繰り返し、証明して行くという、膨大で果てしない作業だからかもしれない。

それでも「音楽」を求める者としてはそこを避けては通れない気がして、もっと歴史について、音楽について、勉強しなければならないなぁと思っている今日この頃。

2011年9月6日火曜日

かまってちゃんと配信

ナタリーに載っていた神聖かまってちゃん・の子さんのインタビューを読んだ。


かまってちゃん(とゆーかの子さん)が徹底的に違うのは、やっぱり「ネット」って物にアイデンティティーを持っているって事だ。

これまでも国内・海外問わずインターネットという新しい媒体に対する様々なアーティストの試みがあった訳だけど、それはあくまで「手法」で、CDやライブ等と同じ地平の延長にある、音楽をリスナーに受け渡す為の方法の一つって認識だったと思う。

やはりレコード、CD、MDやカセットテープという「物」ありきの音楽媒体に慣れ親しんできた旧世代(ここでは敢えて使う)としては、いくら配信の時代と言ってもやはりCDリリースに思い入れがあるし、アルバムって単位も依然として根強い。

しかし、かまってちゃんはネット配信って場をただの「手法」としてではなく、自身の居場所、アイデンティティーとして表明している。

これは画期的な事であり、決定的な事だ。

あくまで個人的な考えだが、音楽に対して新しい道具や手法が出て来た時、そこにアイデンティティーを見いだすアーティストが出て来なければ、いかに素晴らしいと思われる物でも根付いて行かない様に思う。

また、ガラクタにしか思えない様な代物であってもそこにアイデンティティーを見いだすアーティストがいるならば、それは新しい表現として次を担って行くはずなのだ。

それは過去、エレキギターやシンセサイザーやターンテーブルがそうであった様に。

だからインタビューに「将来的にはこっちが普通になって来ますよ」って言葉にやっぱそうだよなって思わずにはいられない訳です。

さて、まぁここまで書いてみて思ったけど、自分は別に評論家でも何でも無い訳で、最終的にじゃあ自分はどうするか、って問題に還って来るのだが、正直な所、まだわからない、というのが本音だ。

僕はやはり旧世代の人間よろしく、CDとかレコードといった「物」が好きだ。
しかし時代は流れて行くだろう。
一体これから音楽やその周りのもの・人の在り方がどう変わって行くのか。
おもしろくもあり、おそろしくもあり。

2011年8月28日日曜日

お ん こ ち し ん

僕はそんなに音楽が詳しい訳ではないのですが、ここ最近、ずっと落ち着く音というのを探していたのです。

歌モノから少し距離を置きたいという所もあり、ジャズやクラシック、テクノ〜エレクトロ界隈など(全然深くではないですが)聴いてました。

なかなかこれだというものに辿り着けないなと思っていた所、たまたま昔友達から借りたCDをパソコンからiPhoneに移して以来全然聴いてなかったグレイトフルデッドのアルバムを何となしに聴いたら、思わず「これだーっ」って叫びそうになった位良かった。

やっぱり好きなもんは好きなんですよ。
あのもっさいカントリーロックみたいなのがたまらんのですよ。
なんだかんだ60〜70'sのポップスが好きなんだと再確認して、もっかい聴き直そうと思いました。

時は長い 深い 言葉にならないくらい

2011年8月19日金曜日

人間

よく「キャラ」って言葉聞く。

キャラクターって事だけど、テレビアニメや漫画が普及してからなのか僕は専門家じゃないのでよくわからないけど、もう一般的には誰もが知ってる言葉になっていると思う。

今河合隼雄さんの本を読んでいるのだが、人や心に対する愛情というか、そういう物を大切にしている感じをすごく受ける。

「あの人のキャラは…」なんてよく使うけど、実際には人間ってもっと奥深いもんだよね、って事を改めて思っている次第です。

人間であったり、心であったり自分であったり他人であったり、もしくは物であったり生き物であったり、ないがしろにしたらそれだけ何かを失うのかもしれないなと。

もちろんその逆も然り、だと思う。

画一化された「人間」ではないのだから、人それぞれ付き合い方を変えなければならないって河合隼雄さんの考え方にはとても共感します。

そういえば養老孟司さんの本に「個性」というのは「体」で、「心」とは共有する為にある、という様な事が書いてあったなと今思い出しました。

今日は外はすごい雨。

夕方からフリードミューンがあるけど、このままでは行かないかもしれないとか思っている午前10時43分でした。